ハッカソンにスポンサーとして参加した話

会社に来ているアルバイトの学生(彼は同じゼミの後輩であり、奇遇にも大学院も同じである)が主催したハッカソンに、会社として協賛することになった。協賛している会社は15分間スピーチする権利が与えられ、立場上私が担当することになったのだが、正直何を話すか相当悩んだ。
話す枠はコーディングやプレゼン準備などが終わった後、結果発表会の直前なので、きっと参加者の学生はみな疲れていることだろう、やりきった感で一杯か不完全燃焼でモヤモヤしている人間には、インプットが多すぎてもコップから水が溢れるだけで何も残らない。無難にいけば会社紹介だろうが、それだけだとあまりに普通で面白くない。結局、企業で勉強し続ける難しさ、環境づくりが大事、みたいな話をしたつもりだが、準備の足りなさも相まって自分でも何を伝えたかったのか(そもそも伝えるという行為を望んでいたのか)分からない結果になってしまった。
とはいえ、学生や若い社員に伝えたいことは色々ある。勉強し続けなければならない事実、勉強を楽しいと思えるよう意識を変えること、自己決定からくる責任をうまく利用すること、キャリアの選択肢を大きく広げる英語の重要性、体系的に学ぶ重要さ、転職や be the worst の話、などなど。だが、結局自分の伝えたいことは自分の体験が元になってるので、個々の学生や社員にそれがハマるかは全く分からない。結局、教育する対象の持つ課題によって接し方は変わるんだよなぁ、と一回りしてしまったような感じである。

 

さて、ハッカソンの発表会では、講師や先生方からなかなか厳しい意見が出て、学生がモチベーションを下げないだろうか、と心配をしてしまったが、みな目的意識の高そうな子だったので杞憂と信じたい。
企業で人材育成、組織作りをしてつくづく思うのは、傑出した能力の人間をどう確保・育成するか、では無く、平均的だったり能力の劣る人材をどう引き上げて、チームとして成果を出すか、の難しさである。学習意欲の高い人材というのは極論を言えば勝手に技術力を伸ばしてくれるのだ(他の能力も同時に伸びる、とは言っていない)。一方で、平均的だったり、それ以下の人材をどう指導するのかは悩ましい。本を借りたら翌日までに読んで返すのがデフォルトな世界を知っているだけに、就業中にタラタラと読んで1週間かけても半分しか進んでない輩を叱咤したくもなるが、それはパワハラにあたるのではないだろうか、とコンプライアンスブレーキがかかってしまうのだ。また、本人が傑出した能力の人間になることを明示的にせよ暗黙的にせよ望んでいないような場合、何が本人と組織にとって良いことなのか、ということも考えてしまう。
厳しい意見を出した講師や先生方は、参加者の学生を傑出した能力の人間に育てること(そして育つ鱗片を見出していること)、要は期待をしているのだろう。ある種の信頼関係が無いと出来ないことである。方や無難なコメントしか出来なかった私は、参加者に特に何の期待もしていない、とも言える(もっとも初対面の人間に何かを期待する、というのもおかしな話ではある)。

 

という感じで、単にスポンサーとして参加しただけのイベントではあるが、人材育成という観点で色々と思いなおすところがあり貴重な時間を頂いた。
ところで以前の自分だったらキラキラした学生が課題に挑んでいるのを見るだけでモチベーションがアップしていただろうが、歳を取り感受性が弱まったのだろうか、そのような思いに至らなかった。または今の自分のミッションが明確でそれに邁進しているので「オレもがんばらなきゃ!」と易々とならなかったのかは分からない。両方かな。